2017年8月26日(土)の梅田HEP前定例街宣の報告

2017年8月26日(土)の梅田HEP前定例街宣の報告です。 下澤陽子 さんのFacebookへの投稿より。
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バカバカバカ。
絶望的に救い難い。。
昨日、また電車を乗り間違えた。。
HEP前にはもう何度も来てるのに、ボーッと、話すこととか考えてたら、あら反対方面の終点。

…実は昨夜は、避難者の友達が来てくれることになってたから遅刻したくなくて早目に出たというに!
開始後10分ほど過ぎて到着すると、ポツンと離れた植え込みの柵に座ってた彼女。
わあ❤ホントに来てくれた!
「私は見てるわ」
と、言ってたけど、誘って横断幕のところへ。
「私は陽子さんの聞いてるわ」
と、言ってだけど、
「ちょっとだけ、話すわ」
と、マイクを持ってくれた彼女。

私の娘のひとつ上の娘を持つお母さん。
群馬からの 母子避難。
事故後に歩んだ道は違えど、娘さんに動けなくなるほどの強い症状が出たこと、意識ある医者のアドバイスで動いたこと(海外へ母子避難)。
守りたい一心であったこと。
動いたことで元気をと取り戻したこと。
私との共通点は多い。

5つの仕事を掛け持ちして、精魂尽き果てて 帰国することになった 海外での母子避難。
そして、2度目の避難も母子避難。今度は神戸へ。

共通点は多くとも、彼女の道はあまりにも苛酷。
とてもとても、語りきれない。

でも、彼女は、マイクを持ち、歩んだ道を、話してくれた。時々、こみ上げてくるものに言葉を詰まらせながら。
最後は、こちら関西の方たちに訴えかけて、
「どうそ、こちらの、関西のみなさんが、助けてください。
私が(放射能について)危険について、話しても、もうダメなのです。みな、もうがんじがらめで動くことが出来ないのです。」

その場で話してくれたけれど 彼女の住む場所の汚染は1500ベクレル /㎏。18歳以下立ち入り厳禁の放射線管理区域の基準の2倍を軽く超える。
東日本には そんな場所は ざらにある。
(ちなみに 私の住んでいた、東京西部の家の周りは100ベクレル前後でしたが 健康被害が出ました。 bq、 土壌汚染 だけでは表せない 都市汚染の問題も きっと あるのでしょう)

この事故が福島だけの問題ではないこと。
東北や関東 全域の問題であること。
ひいては、関西に住む 人たちも含む日本全体の問題である、と話した。
まさに自らの問題であることを 道行く若者に 語りかけてくれた。

「助けてください。そして、とうぞ、気を付けて自分の身を守ってください。国は、守ってはくれません」
流通の問題。
収束していない 事故により、 全国に飛んでいく放射性微粒子の問題。
そして再稼働されていく西日本の原発。

大惨事。 catastrophe
チェルノブイリ級の原発事故には こんな言葉を使う 英語圏では。
決して事故、なんて言葉では 表せない。
フクシマ大惨事。

2020年にオリンピックが開かれる この国は今、大惨事の ただ中に いる。

さて、私はまたも懲りずに一曲、 歌ってきました。
いつもケサラじゃなんなので、新曲✨
いや ジャイアンじゃないんだけど💦

「いつも何度でも」
ナターシャさんという原発事故を 体験された歌い手さんが話し、歌われるのを聞き、私も歌いたくなったから。
ナターシャさんの村は 死の村になり土の中に埋められた。そこには何も残ってない、って。
そしてナターシャさんが失ったのは ふるさとだけではないと。 とってもたくさんの人が、友達が亡くなっていると。そして生まれてくる赤ちゃんの健康に異常があると。
「人間は忘れることによって同じ過ちを繰り返してしまいます悲劇を忘れないでください同じ過ちを繰り返さないでくださいそう願って私は歌を歌っています」
歌う前にナターシャさんはそう語ります。

日本の人は過去に 学んでいますか?
チェルノブイリという過去を 見ることをしていますか ?
そして 今この国に起きている事故を きちんと見ていますか?

「私は生まれ育った東京に2度と戻ることができなくなりましたが、私の娘は今 健康な毎日を取り戻しました。これは本当に素晴らしいことです。
ふるさとを失っても戻ることができなくなっても、命が、健康な体があればまたいくらでも歩み出せます。」

って、お話ししてから、歌いました。

この歌は本当はハーブ、が無理でもギターと共に 歌いたい~💕 どなたか今度伴奏してください!

🎵 呼んでいる胸の どこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい
悲しみは 数え切れないけれど
その向こうで きっとあなたに会える
繰り返す過ちの そのたび
ひとはただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は光を抱ける

昨日来てくださった 避難者は えーと七人かな?少し増えた😄
若い 郡山からの避難者の男性も 来てくださった。関西訴訟京都の原告の方。
避難者の時間が終わった後、 道端で 皆さんとお話をすることができた。私は例によって路上でお弁当を食べながら。(今度のおかずは夫が作った😅)

避難してきた方々の、 日々。
それぞれに ドラマがあり それぞれが特別。
そして、それは世の中では 決して知られていないこと。

普通の母親である私や 彼女が、避難者として、こうした、街中でマイク持つ 意味は 大きい、て信じたい。

友達の勇気を心から尊敬。
1年前群馬と神戸で メッセンジャーでつながってやり取りをしていた 時、 こんな風に一緒に 立つ日が来るなんて 夢にも思わなかった。
彼女の話は、本当に 感動ものだった。

感謝、そしてささやかな希望。
こんな夜をありがとうございました。

2017年7月22日(土)の梅田HEP前定例街宣の報告

2017年7月22日(土)の梅田HEP前定例街宣の報告です。 下澤陽子 さんのFacebookへの投稿より。
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娘のつくってくれた、卵焼き入りの弁当持って行ってきました、HEP前の座り込み(座ってないけど💧)
昨日は、初の試みで、6時~7時は、避難者のアピールの時間としてもらっていた。
毎月第4土曜日、これから続ける予定で。

私もFBで、呼びかけはしたものの、でも実際、避難した方がアピールに立つか、て考えると、う~ん💧ハードルは高いだろうな、て感じてた。
避難しただけで、大変だもの。毎日が精一杯、の人も多いし、それに、避難したこと、あえて話さない人も多いし、街中でアピール?!て、抵抗あるかな、とかぐるぐる考えてると、個々へのお誘いもできず。。

案の定、始まりの時間にいた避難者は、私と、園さんだけ..😅
ずっとふたりならどうしよっかと思ったけど、途中からひとり、埼玉からの方がいらして、話もしていただいた。ふ~😵💨
あとひとり、いらしたんだっけな?

この同じ時間に新宿アルタ前でも やはり 脱被ばく実現ネットが 同じような 街頭アピールを していて、 電話とつなぐ試みをしたのだけれど 声がうまく マイクに乗らず、スムーズにはいかなかった。
それでも聞こえてきた 脱被ばく実現ネットの岡田さんの声に、 私は 何か ものすごくホッとさせられた 。繋がっている、って感じた。
『子ども脱被ばく裁判』の原告でもある福島の今野さんとも 繋がり少しだけお話をしていただいた。
健康被害の質問に 周りで 増えている 病気や亡くなる人の数 、それから 保養で元気になる子供たちの様子など。
でも、 残念なことに音声が悪くて たぶん 街行く人には聞こえなかった。

さて、HEP前2度目のビギナーの私は、今日も話したいこと、書いてきた。
通り過ぎる人がどこを切り取っても耳に残るように 大事なことをぎゅうぎゅう詰め込んで。

前半は 東京から逃げたということと 東日本の 汚染のこと、 移住への道のり、娘に起きたこと。
自分の経験をもとに 気づいてきたこと、など。

後半、ご紹介。

東京の子どもたちの血液に起きてること、話した後に、、

『…これらのことは 私たち避難者の存在も含め一切 報道されたり 語られ検証される ことはないんです。
今 私たちの社会は 放射能が タブーとなっています。 放射能は 問題ない そういうことになっています。
国は、そう話します。
それはもちろんこの原発事故の加害者であるからです。
そして絶対に放射能の影響は認めるわけにはいかないんです 。
大したことの なかった事故に どうしても しなければならないんです。
何故ってそれはもちろん 再稼働 したいからです。
今後も原発政策を進めていく必要があるからです。

そして、国だけではないんです 私たち一人一人も、 この放射能汚染という事実を受け入れるわけにはいかないんです。
みんな明日の生活があるから。
東京がだめだとなれば経済が破綻するから。
多くの人の生活 東京で成り立っているから。

日本の人たちは、事故の後からおかしくなっていると私は思います。 目をつぶって大切なものは見ないようにして 一生懸命経済を回している。

懸命に目を背けてみないようにしているのは 私達の胸元や 子供たちそしてその未来に突きつけられている刄なんです。

私は 自分の子供に 頭をぽかんと殴られて その刃をはっきりと見ることができました。
そしてここに立つ 避難者も それが見えているんです。
私は それを伝える 責任を 感じて ここにいます。
全てのお母さん達が この刃を見ることができたなら、 再稼働だって こんな おかしな狂ったことは即座に 止まるんです。

この関東からの避難者たちのチラシの最後に、こんなふうなことが書いてあります。
『命が 最優先される社会で人間らしく 健康に 楽しく生きていきましょう』
私も、心からそう思うんです。
子供たちを 大切に守り命を未来に繋げましょう 。当たり前だったことができる、 そんな私たちを取り戻しましょう。』

突然振られた「歌」も、またケサラの、

🎵 守ろう
守ろう
守ろう
私達の子供たちを
被曝から 子供たちを守ろう
守ろう 子供達の未来を

て、冷や汗で歌って、やれやれ、とお弁当食べてたら(HEPの路上で座り込んで食べる私もすごいわ)
園さん、最後にもう一度喋るか歌うかせよ、と指令が💦
焦って、応用のきかない私は 何を口走ったか さっぱり覚えていないことを 話した後、 またも歌ってしまった!

いや、 レパートリー増やさないといけないわ。
なかなか良かったとか言われて 図に乗ってる私です。
でも 脱被ばくの歌なんて これくらいしか聞いたことがない。 沖縄の 運動で生まれたたくさんの歌が羨ましい。
今日思ったけれどプラカードぐらい用意すればよかった。 共謀罪や、安部やめろや等のプラカードはあるけれど 避難者の持つものは 横断幕しかないんだもの。

人もいない
ものもない
歌もない

あー、 全ては これからなんだって思う 。
そして これからであって欲しいと願う。
これから、ひとり、ふたり、と、増えていくこと、願います。

私は知っています 避難されてきた方々は たとえ 口に出さなくても 胸の奥に 私と同じような、 思いを必ず 秘めていることを。
多くの厳しい状況が 口に出すことを 許さなくしている場合もあると思います。
こうして思いきり話せる私は 幸せ者です。
とりあえずは今は 一人でも 頑張って 他の避難者の分まで 伝えていきたいです。
そして 何よりも東京に住む家族や友達の分まで!

いつの日か みんなで 手をつないで 声をあげられる日が来るのが 私の夢です。

最後に、嬉しかったことひとつ。
1年近く前の川根先生の講演会の前座の 私の話を聞いてくださった方が、その後ずっと facebook の発信を読んでくださっていて 今日私がここに来ること 知って 会いに来てくださったこと。
東京に住む娘さんをずっと心配されていたけれど 最近こちらへ 引っ越されたとのことで安堵されていました 。
素敵なプレゼントと娘に 心のこもったカードまで頂いてしまいました。
ありがたくて涙が 出ます。
お名前もちゃんと聞いていませんでした 。どうか facebook お友達申請してくださったら 嬉しいです