交差するわたしたち

わたしは、大きな枠組みでは「バイセクシュアルで元男性のトランスジェンダー」だ。性別に関係なく誰かに恋をし、自らの性別は男性でも女性でもないと思っている。バイセクシュアルによくある偏見として「性に奔放」「誰とでもヤる」というものがあるが、わたしの場合はそうではないし、トランスジェンダーによく言われる偏見として「心は女、心は男」というものもあるが、わたしはこの定義を受けることを拒否したい。こんなところだ。

わたしは今、東北・関東の放射能汚染からの避難者の運動に関わっている。この運動の目的の一つは、避難の権利を獲得することだ。原発を推進し、事故のまっとうな責任を取ろうとしない東京電力や日本政府に、避難の権利を認めさせることだ。

避難の権利とは、単に「あなたには避難する権利がある」と言明することではない。避難にかかる費用や土地に住み続けられなくした賠償、避難後の衣食住など、生き続けることに必要な一切を保障することを指す。避難移住には大変な負担がかかる。それらを保障する責任は、「原発は安全だ」と言い続けて人々を騙し、今も再稼働に躍起になっている日本政府と電力会社にある。

避難移住の大変さとしてよく当事者たちが語ることの一つに、「避難者の孤立」という問題がある。親しい友人と家族がまとまって避難することはほとんどない。そのため避難移住は、金銭的負担だけではなく、精神的負担やつながりの負担が大きいと聞く。避難移住した人たちが、仲間と出会って楽しそうに時間を共有する姿はその背景を感じさせる。わたしと話す時とはまったく異なる様子でとても安心する。わたしが初めて性的マイノリティの「仲間」に出会った時を思い出す。「一人ではない」という実感は、生を支えてくれる。

一方で、わたしたち性的マイノリティを取り巻く状況は、程度の差こそあれ、現在は比較的恵まれていると感じる。2年前、2016年の4月に、あの自民党が、「性的指向・性自認に関する特命委員会」を作った。その是非はあるにしても、政権与党すら存在を無視できない状況にあることをこのことは示唆している。

また、全国各地で、講演会が開かれ、存在が知られ、テレビでも取り上げられて、各自治体もパートナーシップやトイレの問題について真剣に取り組み始めている。

しかし、放射能からの避難者たちは真逆の状況にある。日本政府は「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」をぶち上げ、「知ってもらう 食べてもらう 来てもらう」を謳い文句に、福島県を含む東北の放射能被害を隠そうと躍起になっている。関東の放射能汚染に至っては、言及すらない。渡辺悦司さん(市民と科学者の内部被曝問題研究会会員)が、50年間で1200万人の致死リスクを示す論文を出しているにも関わらず、だ。

当然、講演会はとても少なく、コミュニティも限られる。各自治体は取り組みには消極的だし、テレビで取り上げられることはない。完全に社会の周縁に追いやられている。

放射能からの避難という問題は、性的マイノリティの歴史に比べれば、極めて短い、新しい問題だと言えるだろう。しかし、性的マイノリティやフェミニズムの運動の歴史は、わたしにとってこの問題を捉える指針となった。

まずはわたしの立場だ。わたしは避難移住者ではない。むしろ事故後も脱原発運動に積極的には関わって来なかった「外の」人間だ。今でも知識は少なく、学習のための時間も割けていない。わたしと避難移住者たちとの明確な接点は、原発事故の危機にさらされていることや、弟が東京に住んでいること、地元が浜岡原発から20㎞圏内であるということぐらいだ。「それだけ接点があれば十分だ」と言う人もいるかもしれない。しかし、あくまでもわたしは避難移住者ではない。

ここで視点を変えて、避難移住たちとわたしとの関係はどうだろうか。避難移住者たちの中にも性的マイノリティはいる。今はこの交差性はひとまずおいて考えてみてほしい。

恋愛をする/しない。男女というカテゴライズに敏感/鈍感。男女分けトイレを当たり前のように使える/使えない。銭湯に入れる/入れない。性自認や性的指向によってからかわれる/からかわれない。接点がないとは決して言い切れないことがおわかりいただけると思う。

わたしの領域から一歩出てみれば、まだまだ

たくさんある。階段を足で登れる/登れない。耳が聞こえる/聞こえない。物を手で掴める/掴めない。屋根のある家がある/ない。日本国籍がある/ない。日本語話者である/ない。

わたしたちは様々な事柄にまたがって生きている。接点がないことなど、実はありはしないのだ。だからこそ、わたしたちはつながれる。

避難移住のことに話を戻そう。避難移住運動は、他の権利獲得運動と同様の道を辿るはずだ。当事者たちが声を上げ、支援者が集まり、やがて社会の仕組みを変える。わたしはその「仲間たち」の一人でありたい。寄り添いたい。社会の仕組みを変える一助となりたい。単純にそう思う一人としても、「外側」にいる者の義務としても。

3月10日には、避難者たちの初めてのデモが行われる。わたしは参加する。あなたにもぜひ参加してもらいたい。声を上げる避難者として。あるいは同じ世界に接点を持って生きる者として。

文責:りょう